今や世界的な人気を誇るK-POPですが、その黎明期を支えた存在の1つが、アジアを中心に活躍したガールズグループです。そんなガールズグループの1つであるKARAが、2022年に完全復活しました。
一見華やかにデビューし、一気にトップスターの地位に辿り着いたかに見えるKARAですが、その歴史はさまざまな苦難の連続でもあります。そんなKARAの歴史や、メンバーの魅力に関して、さらにおすすめのヒット曲まで解説していきたいと思います。
KARAの歴史について解説
韓国を代表するガールズグループに1つであるKARAは、誕生から復活、そして現在に至るまで、さまざまな歴史を踏んできました。
そんなKARAの結成から復活に至る歴史を、時系列で簡単に紹介していきましょう。
2007年に結成
KARAが結成されたのは2007年です。当時韓国で活動していた、同じ芸能事務所「DSPメディア」のアイドルグループ「Fin.K.L」の妹分という立ち位置でのデビューであり、アイドルグループの要素が強かったのが特徴です。
2007年3月29日に第1集アルバム『the First Bloooooming』でデビューしますが、韓国国内で同年にデビューした、「少女時代」や「Wonder Girls」の後塵を拝す形となり、デビューから順風満帆というスタートとはなりませんでした。
4人から5人メンバー体制へ
5人組のイメージが強いKARAですが、デビュー当時は4人組でした。この4人のうちの1人ソンヒが、2008年に学業に専念するためにKARAからの脱退を発表します。3人となったKARAの運営サイドが考えたのが、韓国のケーブルテレビ局「Mnet」と連動した新メンバーオーディションです。
約6,000名が応募したオーディションを勝ち抜いた、ク・ハラ、そして当時中学生だったカン・ジヨンの2人を加えた5人体制で新たなスタートを切ることになります。
同じく2008年12月に発売した、2ndミニアルバム『Pretty Girl』の表題曲、『Pretty Girl』で韓国音楽番組で初の首位を獲得しました。ここでKARAもようやくトップアーティストの仲間入りを果たしたといえます。
続く2009年7月には、2集フルアルバム『Revolution』を発売し、このアルバムに収録されていた『Mr』が大ヒットします。
2010年に日本進出
すでに韓国で大人気のガールズグループであったKARAは、日本でも注目の存在でした。そんなKARAが正式に日本デビューを果たしたのが2010年2月です。赤坂BLITZで単独公演を行いました。
同年8月に日本版デビューシングル『ミスター』を発売すると、キュートなヒップダンスとともに一気に人気に火が付き、2011年には紅白歌合戦にも出場するなど、韓国国内だけではなく日本でもトップアーティストの仲間入りを果たします。
事実上の解散状態へ
順調に見えたKARAの活動ですが、2014年に、初期から活躍していたニコル、途中加入したジヨンが、所属事務所DSPメディアとの契約を更新しないことを発表しました。2015年4月にはこの2人が脱退し、3人体制となったKARAは、再び新メンバー募集のオーディションを開催します。
このオーディションで3期メンバーであるホ・ヨンジが加入しますが、活動は長くは続きませんでした。
2016年1月に、ギュリ、スンヨン、ハラの3人がDSPメディアと契約を更新しないことを発表し、KARAはヨンジさん1名となってしまいます。事実上の解散状態ですが、メンバーたちは決して解散という言葉を口にはしませんでした。
2022年に活動再開へ
事実上の解散状態の間、旧メンバーはそれぞれ別の芸能事務所に所属し芸能活動を継続しています。ジヨンに関しては、DSPメディアとの契約満了後、日本の芸能事務所スウィートパワーに所属し、日本国内で女優としても活躍していました。
そして約6年の活動休止期間を経て、2022年9月、初期メンバーのギュリ、スンヨン、ニコルに加え、2期メンバーのジヨン、そして3期メンバーのヨンジを加えた5人でKARAとして活動再開を発表します。それぞれ所属事務所は変わったものの、KARAとして活動することができるようになり、再び活発な活動を行っています。
KARAのメンバー紹介
波乱万丈の歴史をつづってきたKARAですが、それでも2024年現在、多くのファンが支えているのは、メンバー個々が持つ魅力が大きな理由でしょう。
そんなKARAのメンバーに関して紹介していきます。
パク・ギュリ
KARAの初期メンバーであり、リーダーを努めるのが最年長のギュリです。
本名:パク・ギュリ
出身地:韓国・ソウル特別市
生年月日:1988年5月21日
KARAのメンバーでは「美しさ」を担当。母が韓国で声優をしており、幼少期に母の仕事現場に連れていかれた時にスカウトを受け子役として芸能界デビューを果たします。あるドラマのオーディションに参加したときは、審査員が顔を見ただけで、その美しさから即合格が決まったという逸話があるほどです。
KARAのリーダーであり、面倒見の良い性格から、お母さん的な立ち位置を努めますが、おっちょこちょいな一面も持ち合わせており、東京ドームライブの自己紹介では、自身の名前はなぜか「東京ドームです!」と元気に間違えたこともあります。
圧倒的な美しさとキュートな一面を持つのがギュリの大きな魅力といえるでしょう。
ハン・スンヨン
KARAの初期メンバーであり、お姉さん的なポジションにあたるのがスンヨンです。
本名:ハン・スンヨン
出身地:韓国・ソウル特別市
生年月日:1988年7月24日
スンヨンは中学から高校まで、アメリカのニュージャージーに留学していた経験を持ち、英語が堪能であることでも知られています。また、子供のころから日本アニメなどに興味を持ち、独学である程度日本語も理解できていたという語学力の高さが大きな特徴です。
日本デビュー当時は、スンヨンが話す日本語が他のメンバーに伝わらないため、ついていた通訳がスンヨンの話す日本語を韓国語に通訳してメンバーに伝えることもあったそうです。
自他ともに認める童顔であり、ファンからは「最強の童顔」と呼ばれています。
チョン・ニコル
初期メンバーであり、韓国系アメリカ人という経歴を持つのがニコルです。
本名:チョン・ヨンジュ(韓国名)・Nicole Yongju Jung(米国名)
出身地:アメリカ・カリフォルニア州
生年月日:1991年10月7日
両親はともに韓国人ですが、親の仕事の関係でアメリカで育ったのがニコルです。中学までロサンゼルス、中学からはアリゾナで暮らしたこともあり、英語が堪能なニコルですが、反面デビュー当時はまだ韓国語が苦手であり、韓国での生活はかなり苦労をしたと言われています。
しかし、持ち前の明るい性格で言葉の壁を乗り越え、バラエティ番組などでは、むしろ韓国語が不完全であることを売りに大活躍をしていました。
2014年にKARAを脱退した大きな理由は、ソロアーティストとしてさらに成長がしたかったからというもの。当時人気絶頂だったKARAはとにかく忙しく、自身のスキルを上げる時間が取れないことに悩んでの決断でした。
KARA脱退後はソロアーティストとしても活躍しており、その経験が再始動したKARAの中でも大いに生かされることが期待されます。
カン・ジヨン
日本で女優として活躍していた時期もあり、日本での知名度は高いと予想されるのがジヨンです。
本名:カン・ジヨン
出身地:韓国・京畿道坡州市
生年月日:1994年1月18日
2期メンバーとして、中学生ながらKARAとしてデビューしたジヨンは、メンバー内でも末っ子ポジションであり、他メンバーにもかわいがられる存在でした。最年少ながら高身長ということもあり、KARAのメンバーからは「ジャイアントベイビー」などと呼ばれていたそうです。
KARA脱退後は一時イギリスに留学し、その後日本を主戦場として芸能活動を継続しています。「知英」、「JY」といった名義で、演技や歌で活躍していました。しかし、2020年に新型コロナウイルスが猛威をふるうと、なかなか来日して仕事をする機会がなくなり、これを機に日本の芸能プロダクションから、韓国の芸能プロダクションに移籍して、現在では韓国国内を中心に活躍しています。
ホ・ヨンジ
3期メンバーとして、最後にKARAに加わったのがヨンジです。
本名:ホ・ヨンジ
出身地:韓国・高陽市
生年月日:1994年8月30日
幼い頃からミュージカル女優を目指していたというヨンジは、KARAのオーディションに挑む際、このチャンスを活かせなかったら、実家のコーヒーショップを手伝って、芸能活動を諦めようと考えていたと言われています。そのオーディションでは、ほぼ満点という素晴らしいスコアで勝ち上がり、見事KARAに第3期メンバーとして参加することになりました。
しかし、肝心のKARAはヨンジ加入からまもなく事実上の解散状態になってしまいます。この間ソロでタレントや歌手として活動していたヨンジは、いつも「KARAのヨンジです」と挨拶するなど、KARAが解散していないことをアピールし続けていました。
2022年に活動を再開したKARAにも当然参加しており、ソロとして鍛え上げたものをKARAとしての活動に生かしています。
ク・ハラ(旧メンバー)
KARAの旧メンバーで忘れることができないのがハラの存在でしょう。
本名:ク・ハラ
出身地:韓国・光州広域市
生年月日:1991年1月3日
KARAの第2期オーディションを勝ち抜きメンバー入りしたハラは、「2014世界で最も美しい顔100人」の1人に選ばれるなど、KARAのメンバー内では「クールなお嬢様担当」と呼ばれていました。
KARAが事実上解散した後は、韓国国内の事務所と契約し芸能活動を続けていたハラですが、思わしい結果が出ない日々が続きます。さらに、元恋人の暴行問題や、整形手術問題などでバッシングを受けることもあり、日に日に精神が疲弊してしまったのでしょう。2019年5月には自殺未遂騒動を起こしてしまいます。
この時は発見が早く一命を取り留めました。その後日本の芸能プロダクションと契約を結び、主戦場を日本に移します。日本国内でも人気の高かったハラですが、自殺未遂騒動から半年後、自ら命を絶ってしまいました。日本国内のファンからも悲しみの声が多く上がったのは記憶にも新しいところです。
2011年、東日本大震災の折には、個人で1億ウォン(当時のレートで約720万円)の寄付を行うなど、優しい性格で知られていたハラだけに、今でも残念に思うファンは少なくありません。
キム・ソンヒ(旧メンバー)
KARAの初期メンバーであり、圧倒的な歌唱力が印象的なメンバーがソンヒです。
本名:キム・ソンヒ
出身地:韓国・ソウル特別市
生年月日:1989年5月17日
KARAの4人の初期メンバーの1人であり、圧倒的なボーカル力でメインボーカルをとっていたのがソンヒです。しかしソンヒはKARAがスターに昇り詰める前に、脱退という決断をします。
脱退の理由は学業に専念することでしたが、そもそもソンヒの芸能活動に、両親は反対のスタンスだったようです。デビュー直前の2006年にはその母が亡くなっており、KARAとしてデビューしながら、自身の生きる道を真剣に考えた結果、早期の脱退、学業への専念を決断したと言われています。
ソンヒはKARA脱退と同時に芸能界も引退しました。その後の話はあまり聞かれませんが、唯一22歳で結婚したというニュースが韓国内で流れ、この時は大きな衝撃を持って受け止められたと言われています。
KARAのおすすめナンバー3選
2022年に新生KARAとして再スタートを切ったKARAですが、数多くのヒット曲を持つことでも知られています。そこで、数あるヒット曲の中から特におすすめの曲を3曲厳選して紹介しましょう。
ミスター
日本におけるKARAの代名詞とも言えるのがこの『ミスター』でしょう。日本デビュー曲として、日本語版をリリースしてその名が一気にブレイクしました。何よりサビの部分で見せるヒップダンスが話題となり、2024年でもTVCMで千鳥の大悟さんがヒップダンスを披露するなど、非常に印象的な1曲です。
韓国で発売された当時は、ウエストラインを強調した衣装と、魅惑的なヒップダンスが「韓国芸能界における未成年者(19歳未満)の過激な露出」に当たるとされて大きな騒動に発展したほどです。
曲の内容は、友達以上恋人未満の関係はもう飽きたというもので、多くの女性に共感される曲として、今でもカラオケ等では人気の1曲となっています。
ジェットコースターラブ
日本デビューを果たしたKARAが、初めて発表した日本オリジナルの曲が『ジェットコースターラブ』です。
この曲でKARAはオリコンデイリーランキングで初の首位を獲得しています。日本のファンにとっても、KARAにとっても思い出深い1曲といえるでしょう。
恋する女性の心をジェットコースターに見立てた歌詞で、サビの部分で披露されるペンギンダンスも話題となりました。
GO!GO!サマー
日本で発売されたサマーチューンの1曲が『GO! GO! サマー』です。ユーロビート調の曲調は明らかに日本を意識しており、パラパラ風の振り付けは、「カラパラ」と呼ばれて話題となりました。
CMタイアップ曲でもあり、耳にした方が多く、2024年現在でもカラオケに入ると盛り上がる1曲として人気です。
まとめ
2007年に韓国でデビューし、デビュー当初は苦労も経験したのがKARAというグループです。その後もメンバーの入れ替わりや、事務所との契約訴訟問題、さらに旧メンバーの悲劇など、多くの苦難を乗り越えてきたグループといえるでしょう。
そんなKARAが、15周年を機に2022年に復活しています。活動休止期間中に、それぞれがアーティストや女優として活動を継続し、年齢を経た今だからこそ見せられるパフォーマンスを見せてくれています。
かつての元気で明るい女の子たちから、魅力的な女性に成長した彼女たちの今後の活躍にも大いに期待したいところです。